日頃、子供達の作品にふれていて思うことがあります。
何て自由で、いい絵を描くのだろう・・・と。
そこで今日は、子供の作る作品について、ピカソと関連付けてお話ししてみたいと思います。

ピカソは晩年になって
「やっと子供のような絵が描ける様になった」
と言っています。
人と比べたり、常識を意識することなく子供のような純粋さで自由奔放に作品に向かうのです。
彼が到ったその境地は、絵画の歴史を見てわかる通り、
「全ての試みはピカソがもう全部やってしまった」
からこそ味わえる楽園なのでしょう。

ある意味では、私の接している子供達の作品は非常にピカソ的です。
上手下手ではなく、その子ならではの個性がストレートに出ています。
たどたどしい線、さわやかな色使い、荒々しいがダイナミックなフォルム、どれもがその子自身であり、何の迷いもない生き生きとした表現です。
大人から見ると、何と羨ましく輝かしい時期でしょう。
しかし、いつしか成長(自我の目覚め)と共に、自分の中のピカソは消え失せ、常識の枠に捕らわれた、ちっぽけな自分との戦いが始まります。

何かを表現したい時、それは美術に限らず悩んだり、行き詰まったりはつきもので、だからこそ、それを乗り越えた時の達成感はひとしおです。
この達成感を一度経験すると、悩みが深ければ深いほど、その悩みさえもエネルギーに変え、自分の納得できるものを目指せるのです。
その時また、子供の頃共にいたピカソと会えるのかもしれません。

私も、自分の中のピカソと、いつの日か再会できた時、達成感で胸がいっぱいになることでしょう。
そう想うと、なんだかワクワクしてくるのです。